凪ちゃんとわたし 第2稿

凪のお暇最終回。凪ちゃんは全部をリセットするようにゴンさんとも慎二ともお別れをしたけれど。ドラマの終わりとしてはわかることだけど。清々しいけどもやもやが残った。

 

 

私は、慎二とのお別れは納得できた。だけど凪ちゃんとゴンさんは同じように好き同士にも見えて。

 

だってゴンさんはメンヘラ製造機とも言われるけど、そこから変われた人のようにも見えるけど、これまでも今も変わらずに誠実な人で。凪ちゃんはそれを知っていて、ゴンさんが自分に与えてくれたものがなにかを見れる純粋な人で。そういう芯のところから二人は黄色くなれていたと思っていた。

でもそしたらなんで好きってだけじゃダメなの~~一緒に頑張っていけばよくない~~?ってもやもやしてた。

 

でも1日経ってもう一回観て思うのは、凪ちゃんも誠実な人だったんだなぁということ。

自分で、「今の私には美味しすぎる」って判断をしたら、その自分の決断に対して誠実で。今じゃないことがわかっている凪ちゃんは、ゴンさんからの甘いにおいも今じゃないって嗅ぐのをやめるんだ。

 

凪ちゃんはずっと芯の強い人だった。空気は読んでいたし飲み込まれてはいたけど、ゴンさんのことを一度も責めないし、慎二のことが嫌だと思ったら自分から離れていくし。相手を変えようとはしないんだ。そこはブレない人だった。

 

そのせいで自分が押しつぶされたり、空気を読むことになるとは思うけど、反対にそのおかげで人の視野を狭めたり強要したりはしないんだ。慎二と凪ちゃんのお母さんがた、それから慎二も、そこがブレる人たちだったけど。

 

すごいなぁ。今の私にはそれはできないし、しないけど、私は凪ちゃんを尊敬する。

私はきっと自分も人も変えようとしてしまう。今の私にとってゴンさんが美味しすぎると思っても、二人で黄色くなったなら、じゃあどうやってあの赤い実のまわりをつくれるか話し合うと思う。

誰かと生きていくのは一人で生きていけるようになってから、って言葉もよく聞くし、確かにそうだとうなずける。だけど私は誰かと一緒に芯を真っ赤にしていきたいし、黄色く熟れていきたいな。

 

凪ちゃんは別に花いちもんめで坂本さんだけを選んだわけではないのもわかってる。一人だけで生きていくことを選んだわけではないこともわかってる。誠実な凪ちゃんの判断も理解はできるけど、きっと今の私にとっての誠実な判断は、これだと思う。

 

 

それから、もうひとつのもやもやポイントもわかった。私がもやもやしてたのは、ツイッターで見た、ゴンさんへの見限りだったんだ。

慎二は一話目でモラハラだけではない一面が観れたから、視聴者からみたら「素直になれない慎二」だった。変わっていく慎二を観て、応援する人も多かったのかもしれない。

だけど、ゴンさんはよく知られる前に「メンヘラ製造機」という名前がついた。そしたら、そうとしかみれなくなってくるんだ。ゴンさんなりの誠実さは変わらないのに、不誠実さは恋を知らなかったことからくるものだったのに、周りからは沼やドラック野郎と言われる。その後のゴンさんは悪い夢から覚めた人、のように見られて、まるで「メンヘラ製造機」時代は悪いことのように扱われてしまう。

名付けられてしまうと、その名前に勝手に縛られて、それ以外には見えなくなってしまうのもあるんだろう。その人自身のまだみぬ可能性は見えづらくなってしまう。何かに名前をつけるときには、気をつけなきゃいけないな。

 

凪ちゃんはリセットしながらもまた出会ったらそのときの自分に誠実に、また関わったりもするかもしれない。「凪のお暇」は終わっても、凪ちゃんの生活もゴンさんの生活も、ほかのみんなの生活も私の中では続いていく。みんなはどんな生活をしていくのだろう。

 

このドラマの人たちに惹かれたから、まだ終わらせずに考え続けたいな