二時間だけのバカンス

朝起きてベッドの上で微睡む。夢と現実のはざまの時間で考えたことをノートに書き留めておく。

長いセーターを羽織って、気分で紅茶を淹れる。ソファに座って映画を一本観たら、私の一日がはじまる。

 

朝ごはんを食べて、昨夜の洗い物を片付けて、パソコンの電源を入れる。本を少し読んでから、一息ついて文章に向き合う。

必要ならば途中で印刷し、ベランダにでて冷たい空気を吸い、また文章に向き合う。

昼寝も挟んで夜まで続く。ご飯をつくるのも掃除機をかけるのも気晴らし。

 

ずっとずっと自分の文章と向き合う時間が欲しかった。ようやく。ようやく自分のペースで進められる。自分を掴んだままその手を緩めたり引っ張ったりできるようになってきた。

 

相変わらず難しいけど、楽しいな。文章を書くのは静かな楽しさがある。そういう静寂さを楽しめるようになって嬉しい。

あと一週間ちょい、楽しみながら頑張ろう。

 

この期間がつくれるのなら、走り続ける期間があってもよかったなと思える。今、私は間違いなく幸せだ。

スピッツ アパート

 

ひさしぶり、数年ぶりに夢に母が出てきた

もうそれだけでいい

今までどこに行っていたのか、何も告げずに、少し怒っているように見えたけど、それでもなんでもよかった 久しぶりに会えて嬉しい

 

現実の苦しさはやはり続いていて、朝はいつも吐き気と闘うことから始まるけど、眠くても眠れない日々は続くけど、母に会えただけで現実の苦しみともまだ戦える

 

それでも、ひとつひとつ解消されて行っている気はするんだ

あともう少しだって言ってくれてたのかもしれない

私は自分の中に母を、猫をうみだすことで自分を癒してきた

かわるものがない今、それが消えてしまったら保てないな

 

全部が終わる2月末まで。あと3か月か。

たまにここで弱音を吐いてしまうけど、律しながら生きていこう。

分解と融合

螺旋階段を回ったというよりも、自分が空中分解してもう一度融合した、というほうが近い

融合した瞬間を感覚で覚えているから、前よりも自分の繋ぎ目を固くできるようになった

 

そのぶん脆さも知ったし、繋ぎ目を意識するようになった

 

昨日、一昨日と一気にフルスロットに稼働したので疲れてしまったけど、脳みそが筋肉ならばただ筋肉痛になっているだけなんだと思う

 

ディズニーランドも研究対象で考えると頭をずっと使うから、それで疲れてしまったんだな、2時間半しかいられなかった

 

駅から家に帰るまで、カフェによらなきゃ帰れなくて

でも少し前みたいにオフになったとたん涙が出る訳でもなく、頭のなかははずっと動き続けてて。今までと違うのは感じるんだ。

 

先生もお兄ちゃんもイチローも又吉も、私が凄いと思う人たちは努力しているから凄いわけで。

そうなりたいならそれ以上の努力と訓練が必要だ。修行はきっとずっと続く。

 

カメラを買ったらとても楽しい。音がいい。もう少し、とりあえず卒論が終わったらここにも向き合おう。英語の試験も院の試験も迫ってるけど。大丈夫。

 

昨日は宇治抹茶ハンバートハンバートに救われた。

癒されながら生きていこう。

 

 

今朝を、忘れたくないので書き留める

 

こんなにも素晴らしい朝はない

日常がこれほどまでに輝いているものだなんて感じたことはなかった

 

このタイミングで学祭期間に入ったことも、よかった

ゆっくり自分の波をつくれる時間があって、自分を取り戻しつつある

いやもう根っこの核の部分はしっかり掴んだなぁ

 

朝起きて、眠気はあるけど頭の中が晴れていて、悩みはあるけどやることが決まっていて、何かに駆られるわけでもなく自分で選び取って次の行動を選べる

 

この一か月、今までの21年間の影の部分を整理して、今の自分と繋げて考えていたけど、ここからは、光の部分を整理して、今の自分と繋げていけばいいんだ

 

光があるから影があるわけで、その二面が存在することは恐ろしいけど、美しい

 

身体の疲れはまだ少し残ってはいるけど、回復に向かってる確信が今はある

 

さてこれからはこなしていくだけだ

元に戻ったわけではなく、螺旋階段を一周まわったんだ

きっとこれからも同じようなことは起こるだろうけど、大丈夫。この感覚を思い出そう

再帰

 

脱した

 

一ヶ月かかったけど、この一ヶ月はとても苦しいものだったけど、ようやく脱することができた

 

世界がぱっと明るくなって、見える世界がぐっと広がった

 

睡眠や食事という身体的な部分と、自己の揺らぎからくる精神的な部分と、ふたつの側面から自分を闇に落としてしまってたけど、なんとか帰ってくることができた~

 

私ひとりだけじゃなくて、もうひとりいるってことを感じられたのも、頼れたのも、すごくすごく助けられた

 

先生がわざとなのかはわからないけど、結果オーライがよかったのでもう、 

 

これ、ちゃんと伝えよう

 

昨夜癒されたのもよかった

闇も全部偶然ふりかかるけど、光も偶然降ってくるな

 

やることの多さも時間の足りなさも、なにひとつ変わってない、むしろ増えているけど今なら大丈夫。

 

自分で自分を癒しながらひとつひとつこなしましょう

 

ぽつぽつ、また書きはじめようと思う

いろんなことが起こって起こって起こりすぎて心の整理がつかないな

 

ちょうど1年前、私は自分のことでも自分のまわりのことでも落ち込んでいた

自分の覚悟の無さと、私のまわりに起こった世間の理不尽さとに落ち込んでいた

 

自分の覚悟のなさ、私はそこからずっと抜け出せずにいたのかもしれない

ずっと目を背けていたのかもしれない

底に落ちている時間はないので、ぐるぐると頭の片隅でそんなことを回したまま過ごしている

 

対照的に、理不尽さを向けられた人はそこから抜け出してやりたいことを成し遂げて幸せそうに笑ってる

私もその人の幸せそうな顔を見て心の底から嬉しい

それから、そこに嫉妬のような感情が沸いていなくて、ただ心の底から嬉しがることができて、そんな自分に安心する

落ちていってはいるけど、まだ私は人として生きてるなぁと安心する

まだ頑張れる

 

 

21の今、自分の中で何が欠落してるのかを認識してヒリヒリできるのはよかったんだろう

それだけで幸せだろうと思う

 

自分のなかにあった歪んだ自信が崩れさったのはよかったし、これからのために必要だった

自分の平凡さがわかって、これから構築していくものだとわかった

 

諦めることなのかもしれないけど、いつか戻ってくるために違う道を選択することもいいのかもしれない

 

それが逃げになるか賢い選択になるか、今の私にはわからない

 

だけど自分が今やりたいことより今できることをやるほうがいいのだろう

 

 

私は確かに悩む自分に酔ってしまうことあるだろうけど、それを引き受けて前向きに捉える転回力もあるはず

自分へと繋げる力をつけて冷静に人に伝えられるようになればいいだけ

 

三十才、四十才を経て、最終的に先生のようになれたらいい

 

凡人は凡人なりに人の何百倍もの努力をするのが必要だって、ようやくわかった

 

申し訳なさだけはずっとずっと続くだろうけど

ここからは中々抜け出せないだろうけど

 

あぁ、これからずっと申し訳なさと共に生きていくのだろうなぁ、それだけが少し心配だ

 

An awesome wave

楽しい夜を過ごして、その日みる夢が悲しいものだと安心する 楽しいが続いてしまうと、いつかどん底に落とされてしまうんじゃないかって思ってしまう

昨夜はとても寂しい夢をみれたのでほっとした 昨日はとても楽しい夜だった。

 

 

 

私はよく見栄をはってしまうし、自分のメリットを考えてしまうので、好きに生きている人が、好きに話している姿はとっても輝いてるなぁと思う。それから、そんな人たちは本当は誰も気づかないところで相手を思いやって、まわりもわざと気づかないふりをして、水面下で優しさが動いている空間がつくられている感じがする。

 

空気が読める、読めないって言葉は軽い部分のことを指して使われている気がして好きじゃないけど、空気 って本来はそういう、積み重なってできあがる空間のことなんじゃないかなと思う

 

散歩をするとき、小説を読むとき、映画を観るとき、時間はかかるけどそこにひとつの空間がつくられていくのだと思う

アルバムを聴くときも、私は30分とか1時間とかかけて空間をつくっているのだと思う

 

 alt-Jという英国バンドの“an awesome wave”ってアルバムがとてもすき 悲しい夢をみた後に、私はよくこのアルバムの空間に浸りたくなる

 

昨日はとっても楽しい夜だったな。