忍びの国を観た

  

「大衆」のこわさを伝えてる映画。

 

わかりやすく伝える、を念頭に置いているんだと仮定したら、最後までわかりやすさで突っ走ったすごい映画だと思った。

これは、1人で物思いに耽るための映画ではなく、知識的に観ておくべき映画、だったので、観てよかった。

 

 

 

以下、少しネタバレしてしまっている。

 

 

 

おじいさんのナレーションではじまる忍びの国。アクションシーンの効果、CG、BGM、演出はわかりやすさを重視しているんだと感じた。

 2つのシーンについて思ったこと。

 

ひとつめ、最初の忍びたちが命を気にせずに遊びで戦いをするシーン。この伝統の「川遊び」からの違和感は、わざと感じさせてきていると思う。

忍びたちは、流されている自分を疑わない「大衆」。だけど、自分以外の世界を知らないから、何の悪意もない。だからこそこの忍びたちの行動は強くて怖い。

 

それに対して疑い始めた半兵衛も、弟が殺されてその違和感にようやく気付く。やっぱり自分と近いところで何かが起こらないと繋げられないっていうのは、今いろんなところで起こっているよなぁ。

 

それと最後のシーン、最後の現在への投影 はわかりやすすぎた。

お国が殺されたあと、子どもが写されるカットは、それだけで、この子どもで未来を表してるんだなと思えるので、最後にわざわざ2年後という表記をつけ、最初のナレーションと繋げてまで説明しつくす必要は無いのかなと思った。嵐の主題歌も「つなぐ」だし、映画全体を通して焦点を当てたのはそこじゃないと思うので、違和感を感じた。

 

わかりやすい、とは思うけど意図とズレているのであれば、ただのチープで終わってしまう可能性があるんじゃないかなぁ。それともその「未来につなぐ」ほうがメインだったのかな?それだったら面白さは半減な気がする。個人的すぎかな。

 

大膳の役割にも思ったところがあったのに、日が経って忘れてしまった。

こういうのが授業とかで流れたらいいのにな~