未来備忘録

今日がとてもいい日だったので書き留めておこうと。

 

朝少し遅くにおきて、お気に入りのかわいいワンピースを着たら、いつもより少し特別な気分になった

ので、前髪の分け方も少し変えてみた

 

大学につく2限が休講だったので、大学近くのカフェに行ってkodalineのアルバムを聴きながら昨日の講義の復習としての読書と、メディアに関する本を読む。

 

コンビニで友達と落ち合ってお菓子を食べて授業に出て、12月の宿をとる。

明日の資料を印刷していつもみたいにいろんな話をして、ラーメンとアイスを食べてルビースパークスを借りる。パターソンはまたこんど。

 

駅についたらワンピースの新刊が出てたので購入して帰りの電車で読み始める。携帯で懐中電灯をつけながら帰り道も少しずつ読み進める。

 

帰ったら食器を片して焼きそばをつくり、お風呂をいれる。洗い物をしてお風呂にはいってワンピースの続きを読む。

明日の資料を読んでルビースパークスを観て、寝る。

 

 

途中から予想だけど、ちゃんとできるかな。

ちゃんとやろう。

 

ラブソング くるり

 

逃げ恥に「弱っているときに待っていてくれる人がいる」という言葉があった。みくりが平匡に「変なのはとっくに知ってる。いまさらですよ」「1人で生きるのも2人で生きるのも面倒ならいっそ2人で生きてみてもいい」と言われたとき。

私の大好きなシーン。

 

前回の過保護のカホコでも、はじめくんがカホコに「俺のさがしてるカホコはいつも明るいカホコだ。」「家族を守っていこう。2人で。」と言う。

 

恥ずかしいけど、愛ってこういうことなんじゃないかなぁと思う。

 

自分には曲げられないものがあって。そういう自分を受け入れているんだけど、好きなんだけど、でもたまにそういう自分を恨んだり持ってるものを曲げたくなるほど落ち込んだりもして。

そのときに「それをずっと持ってていいんだよ」って、「それを持ってるあなたが好きだよ」って伝えてくれる人。

ひとりでは 私の好きな私 でい続けることはすごく難しい。だけど、もうひとりいてくれたらなんとかなりそうな気もする。

 

 

ギターのことはよくわからないけれど、CかDにしたいのにBかBマイナスになってしまうという意味は、なんとなくわかる。

フィルム 星野源

 

私は今、おばあちゃんの家にいる。ここに来る前、ツイッターとインスタグラムのアプリを削除して、ご飯を3食食べて夜になったら寝る「生活」を行ったことで、みるみるうちに回復している。

満たされたことでいろいろみえてきたことがある。 私は人を信じられる自分が好きだったのに、いろんな人の話を聞くことで自信を無くして、自分が霞んでしまっていた気がする。目に見えないものを信じるのは難しい。人を疑ってしまうほうが簡単だし、自分は予防線を張れるから傷つかないし。

だけど、一人ぐらい信じる人がいたっていいよね。きっと。それから、私はなぜか人を嫌い続けるエネルギーを持ち合わせてもいない。だったら中途半端に人を嫌うよりも最後には信じきっちゃったほうが私には楽だと思う。

ある事実があって、それをどう観るかはその人次第なのだから、自分の観た世界に浸れるかどうかが勝負なんだろう。私はたぶん、現実を観るフィルムを自分でつくれるんだってことを忘れかけてた。だけど今は自分のフィルムを信じている人にも出会えたし、もう大丈夫。ころころ世界が変わっても、最終的には楽しいほうを信じよう。

 

現実はいくらでも自分でつくれるから、それなら私は自分の好きな世界をつくろうと思う。

私が星野源を好きな理由。

 

 

もしかしたら、裏切られたことがないから言えるのかもな。お願いだからこのまま死なせてほしい。

忍びの国を観た

  

「大衆」のこわさを伝えてる映画。

 

わかりやすく伝える、を念頭に置いているんだと仮定したら、最後までわかりやすさで突っ走ったすごい映画だと思った。

これは、1人で物思いに耽るための映画ではなく、知識的に観ておくべき映画、だったので、観てよかった。

 

 

 

以下、少しネタバレしてしまっている。

 

 

 

おじいさんのナレーションではじまる忍びの国。アクションシーンの効果、CG、BGM、演出はわかりやすさを重視しているんだと感じた。

 2つのシーンについて思ったこと。

 

ひとつめ、最初の忍びたちが命を気にせずに遊びで戦いをするシーン。この伝統の「川遊び」からの違和感は、わざと感じさせてきていると思う。

忍びたちは、流されている自分を疑わない「大衆」。だけど、自分以外の世界を知らないから、何の悪意もない。だからこそこの忍びたちの行動は強くて怖い。

 

それに対して疑い始めた半兵衛も、弟が殺されてその違和感にようやく気付く。やっぱり自分と近いところで何かが起こらないと繋げられないっていうのは、今いろんなところで起こっているよなぁ。

 

それと最後のシーン、最後の現在への投影 はわかりやすすぎた。

お国が殺されたあと、子どもが写されるカットは、それだけで、この子どもで未来を表してるんだなと思えるので、最後にわざわざ2年後という表記をつけ、最初のナレーションと繋げてまで説明しつくす必要は無いのかなと思った。嵐の主題歌も「つなぐ」だし、映画全体を通して焦点を当てたのはそこじゃないと思うので、違和感を感じた。

 

わかりやすい、とは思うけど意図とズレているのであれば、ただのチープで終わってしまう可能性があるんじゃないかなぁ。それともその「未来につなぐ」ほうがメインだったのかな?それだったら面白さは半減な気がする。個人的すぎかな。

 

大膳の役割にも思ったところがあったのに、日が経って忘れてしまった。

こういうのが授業とかで流れたらいいのにな~

スピッツが流れないさぼうる

辞書にある違和感、の説明に載せてほしいな

 

とても自分勝手だけど、私が尊敬する人たちには、私の想像を超えてほしい。そうじゃないと私は自信がつかないんだ。

なんて他人に頼っているんだ。

 

煙草の匂いがする喫茶店は好きなので、禁煙にしなくていいよ

 

神保町で妖怪の本を探していたのに、知らぬ間にハンカチを買ってしまっていた

風呂敷かばん欲しいな

 

 

 

そろそろこのブログに他者の目を入れないと、私の力では書き連ねるだけでは伝わらないよな。

 

無理難題

 

 

面白いことを書こうと意気込むとなかなか難しい。

 

気張らずに書いている、誰にも見せないメモ帳とか、ツイッターのメモアカウントとか、その中のほうが比較的おもしろい。

ライブ感の問題もあるはず。

 

まぁとりあえずサニーデイ・サービスの青春狂走曲を聴こう。

 

 

 

さて、今夏の目標は、幽体離脱

 

自分の体から抜けて、もっと自分と距離をとりたい。自分と距離が取れれば「あれ、この状況おかしいな」「なんで私こんな熱くなってんだ」に気づける。はず。

 

自分で自分にツッコミを入れられるようになりたい。

願わくば意識的にボケたい。

 

 

正直、○○したいって言ってできたことないよね。願望は願望で終わるよね。

幽体離脱、する。…うっ

 

 

はぁ、困った。こんなの書いてもなにも面白くない。

ベッドの上の絵がずっと曲がってる。直しても直しても曲がり続ける。

私のおへそ。

 

こんなことしてる暇ない、が充満しすぎて慣れてきた。

現実よ、迫ってくるな!もう少し

 

季語がない~~~~~~~

 

勢いだけで書いちゃった。

あ~あ。さっさとすだれを買って風鈴をたらして自分に浸って寝よう。

家族行進曲3

 

あ!瞬く間に2日経っちゃった

 

課題に追われている

 

けど流してはいけないと思い。

 

track6、お家に帰りたい

 

バンジョーの音がわかるようになった

これ聴くとなんかの歌を思い出すんだけどなんだろうな

ベットの上でぐるんぐるんしながら聴きたいな

夕日がみたくなる たぶん1番幸せなのだろう

 

track7、真夜中

邂逅と同じように好き  これは私も体験したと思うんだ たぶん、たぶん

なんでわかるんだろう なんで

あんまり言えないや それでもいいか

 

シンセサイザーとかオルガンの音が、なんというか機械的に感じない

 

track10、台所

星野源のキッチンも吉本ばななのキッチンも、私は台所に弱いのかもしれない

 

これを聴いてなにを想像するのかは人によって違うと思うけどそれがいいねきっと

白菜のくたりとかお揚げにひじきとか

食べものを聴いただけでこんなにもほぐれるものがあるんだなぁ

 

track11、今夜君が帰ったら

 

これもふたつあるな 遊穂さんと良成さんのパートから想像する

結末がないのがいいな

 

track12、横顔しか知らない

(ケルティックバージョン)

 

前作のFOLKのアルバムでもなんども聴いたけど、少しゆっくりなかんじがよかった マンドリンの音?かな?たぶんそれが好き

とても入り込んでしまうけど、私は金延幸子の時にまかせて のようにもなりたい

 

 

やっぱり時間を置いてしまうとよくないな。。